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名古屋高等裁判所 昭和53年(ネ)427号 判決

控訴人

林盛行

右訴訟代理人

鶴見恒夫

外一名

被控訴人

名古屋市

右代表者市長

本山政雄

右訴訟代理人

鈴木匡

外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因(一)・(二)および(三)(1)の各事実は、当事者間に争いがない(ただし、第一次出火の程度を除く。)。

二本件出火の原因

1  〈証拠〉を総合すると、第一次出火の経過は、左記のとおりである。

昭和四六年一二月二五日午後九時二〇分すぎころ、本件建物(木造アパート)の二階七号室において、居住者金原靖の妻由理子は、台所(三畳板間)の南隅に置いてあつた石油ストーブで暖をとつていたが、焦げくさいにおいがしたので、ストーブの火を調節しようとしてコツクをひねつたところ、突然大きな炎を発してストーブに火がついたような状態になり、これは直ちに水をかけて消火したものの、台所東端に据えてあつたプロパンガスのコンロの上に一〇センチメートル位の炎が上がつていた。そして、同女は両下腿などに、同女の傍らにいた一才九か月の長男(龍次)は手足などに、また台所の西隣の六畳間(七号室はこの二室のみである。)に寝ていた生後六か月の長女(史)は顔や頭などに、いずれも第二度火傷(局所に水庖を生ずる中等度のもの)を負つた。そこへ隣人らがかけつけて、ガスコンロの上の炎を枕で叩いたうえ、消火器で消し止めた。なお、台所と六畳間のほぼ境にあつた椅子の底に張られていた薄い布の一部が焼けた。

以上の認定に反する証拠はない。

2  右の事実によれば、第一次出火は、プロパンガスが何らかの原因で漏出し、これにストーブの火が引火したものと考えて誤りないであろう(ちなみに、〈証拠〉で明らかなように、プロパンガスの対空気比重は1.5を超える値であつて、低い所に滞留する。なお、〈証拠〉によれば、ガスのホースは金具で締められておらず、第一次出火のあとの時点では、ホースが外れ垂れ下がつていたのであつた。)。そして引火の際、その火気が一瞬にもせよ七号室のかなりの範囲に及んだ事実も、推認するに十分といえよう(〈証拠〉によれば、七号室を模した部屋での実験の結果、七号室のガスコンロがあつた箇所で漏洩したプロパンガスは、稀釈されながら、台所はもとより六畳間にあたる部屋にまで流動拡散して行くことが明らかとなつている。ちなみに、〈証拠〉によれば、ガスコンロと、長女が寝ていた布団の間は、約二メートル半である。)。

ところで、〈証拠〉によれば、一二月二六日早朝に生じた本件火災の焼きの中心が、二階七号室またはこれに隣接する箇所であることは疑いの余地のないところであるが、その七号室は、一二月二五日夜の第一次出火の後は、居住者である金原靖の家族が全員、火傷の治療のため病院へ行つてそのまま宿泊しており、また、その場にかけつけていた由里子の義弟(山田秋光)も、警察官から、「また火が出てはいけない。ここに泊まつてください。」と言われたが、同二五日の午後一〇時すぎころ、出入口の扉に施錠して病院に赴いてしまい(右の扉は、閉じると自動的にロックされる。)、その後は無人のまま推移して本件火災の発生をみたのである。そうであるとすると、第一次出火の残り火が前述の火気が及んだ範囲のいずれかに残存しており、これが数時間の無炎燃焼ののち再び炎を発して、本件火災に至つた蓋然性は、極めて高度のものがあるというべきである(ただし、残り火が残存していた箇所をそれ以上具体的に特定することも、それがどのような形で残存していたかを確定することも、本件証拠の上からはできない。)。

もつとも、当審証人大中良彦は、「乙第一一・一四号各証から本件火災の「焼け」の方向を集約すると、本件火災の出火場所は、七号室の出入口に面する廊下を中心とし、その東側(七号室)と西側の各部屋に若干入つた範囲であり、かつ、現場には無炎燃焼痕が見られないので、本件火災は第一次出火の残り火の再燃ではない。」と供述し、本件火災の原因として、電気(ただし漏電はありえないとする。)・タバコ・マッチおよび放火を示唆する。証人大中の右供述は、実践的知識に基づく見解として、傾聴すべきところを含むと考えるが(じじつ、〈証拠〉によれば、本件建物の二階の床は、七号室の東南隅の押入れとこれに接する隣室の押入れ・廊下のほか、七号室の北西隅も焼け落ちているのである。)、電気・タバコ・マッチ・放火などについては、これを肯定する資料も否定する資料もないうえ、そもそも第一次出火があつたまさしくその数時間のうちに、極めて近接した場所で、全く別の出火原因が重ねて生じたというようなことは、すこぶる異例というほかなく、健全な常識を承服させるには遠いものがある。

右のごとき事情のもとでは、第一次出火と本件火災との間の因果関係を否定するのは、経験則に反するといわなければならない。

三消防職員の過失

1  〈証拠〉によれば、第一次出火の直後、消防職員らが本件建物に到着したときの七号室の室内は、ガスコンロ及びその周辺に、黒こげではあつたが水浸しの綿くず様のものが散乱しており、その背後の窓桟や腰板などは一部すすけただけで焦げるに至らず、一面に粉末消火剤が散布され、水で濡れている箇所もあつたが、焼けた物は何も見当らない状況であつたと認定できる。なお、前述した椅子はすでに室内にはなく、六畳間にあつた布団二組はいずれも伸べられており、また台所南端の押入れ(その真前に、石油ストーブが置いてあつたのである。)の引き戸は締まつていたと考えられる(〈証拠〉には、引き戸が四〇センチメートルほど開いていた旨の記載がみられるが、その余の証拠と矛盾する。第一次出火のあと、警察官中北敏明が到着する前に、何者かによつて開けられたものと推認される。)。

2  そして、消防職員らがとつた措置は、〈証拠〉によると、左記のごとく認定しうる。

指令を受けた熱田消防署および瑞穂消防署堀田出張所の職員ら約三〇名は、消防車五台に分乗して第一次出動をしたが、本件建物に到着した時(二五日午後九時二六分ころで、第一次出火の約六分後と考えられる。)には、七号室の火はすでに消えていたため、注水など消火活動はせず、なお火気を探したが全く知覚されなかつたので、約一〇分後、丹羽茂光を残留させて引き揚げた。そして丹羽は、同日午後一〇時すぎころまで、部屋中を見たり触つたりして周到に検査したのち(その際、ガスの漏出音に気付いて元栓を締めた。なお、押入れの中を検めることはしなかつた。)、一たん近くの店へ行つて消火にあたつた人達に面接し、午後一〇時一五分ころ七号室へ戻つたところ、同室はすでに施錠されていて入れなかつたので、午後一〇時半すぎまで七号室の周辺を調査したうえ、再然の危険なしと判断して帰署した(なお、捜査のため七号室に来ていた警察官(中北敏明)も、午後一〇時半まえに引き揚げている。)。

以上のとおりである。

3 公権力の行使にあたる公務員の失火による国又は公共団体の損害賠償責任については、国家賠償法四条により失火責任法が適用され、当該公務員に重大な過失があることを必要とすることは、本件についての最高裁判所昭和五二年(オ)第一三七九号同五三年七月一七日第二小法廷判決(民集三二巻五号一〇〇〇頁)において判断されたとおりである。

ところで、右にいう重大な過失とは、通常要求される程度の注意すらしないでも、極めて容易に結果を予見できたにもかかわらず、これを漫然と見すごしたような場合を指すのであるから、結局ほとんど故意に等しいと評価されるべき、著しい注意欠如の状態をいうものと解される(最高裁昭和二七年(オ)条八八四号同三二年七月九日第三小法廷判決・民集一一巻七号一二〇三頁参照)。そして本件では、消防職員らの過失が問われているのであるから、火災の予防・鎮火などを職務としこれに関する知識と技能を習得している者に求められる高度の注意義務を基準として、注意の著しい欠如があるのか否かが論定されなければならないわけである。

以上のごとき見地に立つて前認定1・2項の事実をみるのに、当裁判所は既述のように第一次火災の残り火の残存を推認するので、理論上、可能な調査上すべてを尽くせばこれを発見できたはずであるといえる。しかしながら、本件においては、残り火が前述の火気の及んだ範囲のいずれかに残存していたことを認定し得るに止まり、それ以上具体的にどこに、どのような形で残存していたかは、本件全証拠をもつてしても確定できないのであるから(これは、消防職員らに重大な過失があつたことを肯認するための前提となる事実ゆえ、控訴人が立証責任を負担すべきことはいうまでもない。)、本件消防職員らがわずかな注意さえ払えばこれを発見できたとは判断することは、もとより許されないところである。

また、再燃の回避義務についていえば、火災の鎮火後に消防職員のとるべき措置といえども無制限なものではありえず、現場の状況に応じてその範囲が画定されるべきところ、本件の第一次出火鎮火後の状況が、炎上火災を放水によつて鎮火したときのように残り火の危険が予測される場合とは根本的に異ることは既述したところから明らかであるから(じじつ実況見分にあたつた警察官によつても火気は全く知覚されなかつたのであつた。)、現場を継続して監視することはもとより、関係者に対し注意を促す必要すら乏しかつたといわざるえない。してみれば、たとえ専門職員に課せられる注意義務を基礎において判断しても、本件消防職員らがとつた前記2項の行為を捉えて、著しく注意を怠つたものでほとんど故意に等しいとまで判断することは、とうてい無理である。

四以上のとおりであつて、本件の第一次出火に際し出動した消防職員に重大な過失があつたと認定することはできないから、控訴人の請求は、その余の事実を判断するまでもなく、理由がない。これと同旨の原判決は、正当である。

よつて、民訴法三八四条に従い本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条・八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(村上悦雄 吉田宏 春日民雄)

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